6) 玉石垣 。
八丈島は昔から暴風雨の多い地域です。風や雨の害から住居をまもるため、 溶岩または玉石の石垣(オリという)をめぐらし、その上(土手という)にツバキやシイ等の常緑広葉樹を植えて防風林をつくっていました。 

享禄元年(1528年)に、北条早雲の家来、中村又次郎が代官として来島し、 此処に陣屋を設けた。江戸時代になると、幕府は此処を島役所とし、明治33年(1900年)には、東京府八丈島庁となり、 島の政治の中心地だった。しかし、明治41年(1908年)には、島庁が他地区へ移転したため、 今では、八丈島の政治文化の発祥の地も玉石垣に残すのみとなった。
出展::八丈ガイド